本日で10連休と称された大型連休は終了となります。
私らは、連休をあまり実感することなく過ごしていたのですが、
昨日は日曜日ということと、子供の日ということもあり、
各地で子供向けのイベントが多く行われており、足をのばしてきました。
私が家族と一緒に向かった先は、米沢の昆虫博物館というところで、
生きている外国産の巨大で特異なカブトムシやクワガタムシを見ることが出来ます。
それに驚くなかれ、それらの虫達をおさわりすることが出来るのです。
子供の頃には、生きている状態で間近に見ることすら、夢のようだった
ヘラクレスオオカブトやアトラスオオカブトを、自らの手で掴めるのです。
子供にとっては、これが初めて見るカブトムシだったので、
もはやドン引きを通り越して、恐怖を感じていたようでしたが、
おっさん世代の方が逆に、目をきらきらと輝かせて、カブトやクワガタと楽しく触れ合っていました。
この館を出る頃には、私はすっかりと満足してしまいました。
まだまだ少年のような心も残っていたのだなと改めて思ったところでした。
皆さんは、どんなお休みの日を過ごされたのでしょう。
本日は、祝日、憲法記念日です。
車での通りがてら、玄関先に国旗を掲揚されているのを見て、本日が祝日だと気付きました。
さて、本日は利用者さんを前にして、次のような質問をしてみたところです。
問1.皆さんの自宅前に今でも国旗を掲揚されている方はいますか?
結果、3名の利用者さんが手を挙げられました。
3人もいたことにも驚きましたが、次に別の質問に変えてみました。
問2.今はしていなくても昔は国旗を掲揚されていた方はいますか?
すると、たいていの利用者さんが手を挙げられました。
そうなんですよね。
皆さん、わかっていて、国旗掲揚を行わなくなってしまったのです。
それでは、それらの利用者さんに聞いてみました。
問3.何故国旗を掲揚しなくなってしまったのですか?
この質問には、実に明確な回答がありました。
最も多かった理由から順に紹介していくと、こんな感じでした。
1.めんどうくさいから
2.慣習が薄くなったから
3.恥ずかしいから
その中で、注目すべきが「3.恥ずかしいから」だと思います。
周りで、誰もやっていないのに、自分だけ行ってしまうと、逆に周囲から浮いてしまい、
それが、周囲に合わせ行動することを美徳とする日本人的な心情が後押しする
悪循環となり、急速に、私達の慣習からなくなっていったのでしょう。
実に悲しいかな。
令和となり、新しい天皇による一般参賀が行われるそうです。
たくさんの国旗がはためくのだと思いますが、日本の国旗は、
今は国民それぞれの心の中に、普段はしっかりとしまわれているのでしょうね。
「マイクでしゃべられるとよく聞こえないんだよ。」
と、耳の遠い利用者さんがおっしゃられます。
かと言って、マイクを使わずにしゃべっても聞こえてはいないようなので、
耳元で大きな声でお話をしないと、通じないようです。
補聴器を家族の方にお願いしてみては?
と、職員に問われましたが、現状、補聴器でなんとかなるという風には考えられません。
また、調べ物をしたという職員が言うには、聞こえづらくなってから使用するものと、
聞こえなくなってから使用するのとでは、全然違うというとのこと。
つまり、補聴器というのは、周囲の様々な音を拾ってしまうため、
そういった雑音ある状況に徐々に慣れていかないと、使用を継続していくことは困難とのことだそうです。
よって、その利用者さんに、どのように言葉を伝えるかを考えたところ、
最も威力を発揮したのが、紙コップでした。
そう紙コップをメガホンのように口に当てて声を出すのです。
空気の振動を増幅するとともに、高い音域を高齢の方でも聞き取りやすい音域に変えてくれるようです。
とりあえず、付け焼刃的な小道具ですが、効果はありましたので、
使い方を工夫して、利用者さんとのコミュニケーションを取れればなと思ったところです。
朝から雨が降るこの日が、平成最後の一日となります。
笑和感は、通常営業です。
朝の日めくりカレンダーの本日の格言が、
「去る者は追わず」
何やら、平成の終わりにこの言葉かと、考えさせられる一文です。
笑和感では、いつも通りに、お風呂に入り、運動を行い、
皆でおしゃべりをし、一緒にご飯を食べて、一緒にお昼寝をし、
一緒にお菓子作りをして、歌を歌う。
そして、いつも通りに、代表者の音頭で、乾杯の挨拶を行うのです。
何気ない毎日の繰り返しですが、これが続いていくことが、
大事なのです。
時代が、令和に変わろうと、こうした光景は、変わらずここに在り続けたいものです。
平成最後の日に、お世話になられている方の突然の訃報を聞きました。
昨日、お電話でお話をしたはずではないですか。
明日を待たずに、平成とともに、去られるお方を、今は思い返すばかり。
去る者は追えず
わたしらに出来ることは、前を見て進めということなのです。
雨続くこの平成の最後の一日を、思い返す日があるならば、
雨の情景とともに、どこか寂しさとともに、思い返すことになるのかもしれません。
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